放任タイプ
自分は自分。子どもは子どもと割り切って、何でも子どもに任せてしまう。
忙しくてかまう時間がない。
子どもがしっかりしているから大丈夫と思い込んでいる。
子どもに興味がない。
色々なケースがありますが、基本的に子どもは任されているので自立面は成長する子が多いです。
ですが、親の愛情を感じにくいので精神面で不安定になりやすいです。
愛情不足を感じて非行に走りやすくなったり、認められたくて承認欲求が強くなる傾向があります。
私の幼少期は親と遊んだ記憶がほとんどありません。
3歳で下に弟ができ、4歳の時には2歳上の兄と両親とは別の部屋で寝ていました。母の愛情は全て弟に向かっていたと感じていました。
TVはいつもプロレスか野球中継。学校に行ってもみんなの話にはついて行けずつまらない幼少期を過ごしました。
そんな私の楽しみは読書。学年で一番読んだと表彰され、両親も喜んでいた姿を覚えています。その後は漫画にはまり読書はほとんどしてこなかったのですが、翌年は親をがっかりさせないようにページ数の不正。子どもの不正ですから担任にはすぐバレました。呼び出され、問いただされても認めることはしませんでした。
その後も学校にお菓子を持っていって怒られ
校内で鬼ごっこやかくれんぼをして怒られ
父親が冗談で「橋の下から拾ってきた」と言ったのを真に受け「だから私に冷たいんだ。生まれてこなければよかった」と死ぬ方法ばかり考え
母親の財布からお金を取ったのがばれて父親に殴られ
学校は休みがち
勉強はできない
色々ありましたね…
母親の財布からお金を盗んだのは誰かに脅された訳ではありません。お友達になにかを買ってプレゼントしたり…誰でもいいから自分の存在意義を見つけ出したかったのだと思います。
このホームページで放任タイプを作っている時に忙しくて大変な思いをしているお母さんたちが目に浮かんで、そんな頑張っている人達に私が簡単に何かを言っていいはずないな…と思ってここには何も書かないつもりでした。
そして、そんな人たちの姿を想像していたら急に母のことを思い出して。
ここに書かれている子どもは幼少期の私だったと気づきました。
問題行動を起こしていた時は何で自分がそんなことをしていたのか全然理解できませんでした。
怒られることも悪いことも認識できるはずなのに。そして今に至るまで理解できていませんでした。
息子の不登校を通してようやく気づきました。
私をみて!私の存在価値を認めて!
ずっと叫んでいたんだと思います。
頑張っている人達に何もいえないと思っていましたが、子どもの立場から伝えさせてください。
お母さんたちが忙しいのは気づいてます。言いたいことも飲みこんで家族が大好きだから頑張ります。
だから、お母さんたちも私たちが頑張っているのは当たり前だと思わずに「この子も頑張っているんだ」と気づいてください。「生きている。そのことが何よりも嬉しい。」「今日もありがとう。あなたがいるから今日も頑張れた」「大好き」なんでもいいです。私が存在していていいんだと思える言葉をください。
数少ない母との思い出ですが、
お腹が痛いとき優しくさすってくれたな…
バトミントン一緒に遊んだな…
怖い夢を見て泣いて部屋に行った時「大丈夫」って頭を撫でてくれたな…
そんな母との記憶が非行にも走らなかったし、苦しい時でも死を選ばなかったことに繋がっていると思います。
少ない時間でも大切にしてくれた記憶は残ります。
忙しい時間の中でどのように関わっていけるのか、一度振り返ってみるのもいいかもしれませんね。